原産地呼称の歴史②

こんにちは、Aoyama Wine Baseのフィゴーニです。

前回に引き続き、蛯原 健介さんの著書、「ワイン法」から興味深いと感じた内容をまとめました。

ラングドックの悲劇


19世紀半ばには鉄道網が敷かれ、ワインの輸送が遠くまで可能になり、ベルギーやドイツなど国外までワインの市場が大幅に成長した。また、土地人口の増加、労働者の購買力の増加や農村部でワインが飲まれるようになった事もあり、大量に国内でワインが増産されると。しかし、同時に模造ワインや低品質な輸入ワインが急増する。フランス国内では南仏のラングドックがワイン生産の工場となり、フランスワインの3割も生産するに至る。安価なテーブルワインが主に生産されていたため、生産過剰による価格の大幅の下落を招くことになる。しまいには、生産コストが販売コストを上回り、原価割れとなり、ワイン生産で成形を立てる事が厳しくなる。その原因を生産者は模造ワインや外国から入ってくる輸入ワインだと主張する。

ラングドックの人々の生活基盤はワインが大きな割合を占めているということもあり、1907年には南仏の市町村長が一斉に辞任し税金の支払いを拒否、大規模な暴動に発展しラングドックの人口の半数が集会に参加するほど最大規模になり、軍隊も出動して死傷者がでる大惨事になった。

これを契機に、模造ワインや産地偽装ワインの横行を止め、価格を安定させるための生産調整などがされていく。

次回に続く。。。

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