シャンパーニュのお勉強(シャンパーニュの歴史①)

Aoyama Wine Baseのフィゴーニです。

Peter LiemのChampagneから、シャンパンーニュの歴史について掻い摘んで書きました。

シャンパーニュ地方の起源
葡萄の樹は5世紀〜6世紀には存在していたが本格的に産地が形成されたのは9世紀ごろ。
→この頃に川のワイン(Vins de la riviere)と山のワイン(vins de la montagne)の違いがフォーカスされる。具体的に川のワインがVallee de la Marneのエリアで、山のワインがMotagne de Reims のエリアと識別され、それぞれ葡萄の熟度や品質の違いが認識された。

シャンパンーニュの知名度:
1575年のHenri IIIの戴冠式で初めてシャンパンのみがサーヴされた事がシャンパーニュの栄光時代の始まりとなる。シャンパーニュという産地の総称は1600年以前は各々の村名で呼ばれていた(例 Ay,Epernay, Verzy)。もしくは総称してvins francais(フランスワイン)と呼ばれていた。

スティルワインとしてのシャンパン:
シャンパーニュの歴史の大半スティルワインとしての歴史であり、morillon noir, gouais noir fromenteauから作られる赤ワインが評価され主に貴族に嗜まれていた。現在の基準からすると、ライトボディで薄いワインが作られていたと考えられている。

泡の起源:
ドンペリがスパークリングワインの創造者と言われるが、そのエヴィデンスは薄い。1820年以前(ドンペリニオンは1638年〜1715年の生きた時代)に彼がスパークリングワインを作ったといった記述はどこにも存在しない。但し、ドンペリニオンの時代にはすでにスパークリンは飲まれていた記述は残っているが、意図的にスパークリングワインを作っていたのではなく、酵母が発酵を終える前に冬に気温が下がることで発酵がストップし、瓶詰めしたのちの春ごろに気温が上がり、ボトルの中で再度発酵が始まり、結果的にスパークリングができたのである。

意図的なスパークリングワインの登場は17世紀のイギリス:
1664年にSamuel Butlerの詩の中にスパークリングワインの記述が残っている。また、Dr.Chrstopher Merretによるとその頃、意図的にサトウキビをワインに足してスパークリングをたくさん作っているという記述も残っている(瓶内2次発酵)。イギリスは16世紀初頭にはシャンパンからバレルでワインをシャンパーニュ地方から買っていた事から、イギリスが瓶内2次発酵を初めて作ったエヴィデンスにもなる。また、現実的な理由からイギリスの方が技術的によりスパークリングを作れた事も分かる。フランスでは木炭でグラスを製造していたが、イギリスは石炭を使っていたため、より強度なグラスができる。つまり、フランスのグラスではスパークリングに耐える強度を持ち合わせていない。また、イギリスではすでに16世紀中頃からコルクをストッパーに使っていたのに足して、フランスでは木を麻で巻いた簡易的なクロージャーしか使っていなかった。つまり、作ろうと思っても、当時のフランスの技術では難しかった。

フランスシャンパーニュの台頭:
より重たく強度なグラスを作る技術とコルクのクロージャーを使う技術は1700年台にようやくフランスにも届く。つまり、シャンパーニュ地方で意図的に瓶内2次発酵のスパークリングワインが作られ始まるのはこの時代である。また、1728年には勅令により禁止されていたボトルによる輸送が許可されることも大きい。つまり、大規模にスパークリングワインを作れるようになり、シャンパーニュハウスが急増するようになる。最古のシャンパーニュハウスであるRuinartが1729年に創業した事は偶然ではない。

・1700年代はまだ殆どがスティルワイン:
1700年代以降パリやロンドンのみならず、アメリカやヨーロッパ全土でシャンパーニュが求められる。但し、この時作られていたのは殆ど赤ワインであり、1700年後半のスパークリングワインの割合はまだ全体の6%ほどでしかなかった。その理由の一つに製造の難しさにあったという考え方がある。泡の圧に耐えられず割れる事が頻発していた。かの有名なアメリカ大統領でワイン愛好家でもあったトーマス ジェファーソンは1788年に4日シャンパンで過ごしたが、スティルワイン、特にAy村産のワインを好んだという。

・19世紀初頭のシャンパンブーム:
この頃にはスパークリングのシャンパンは中間層にも増えることになる。ワイン玄人の間ではメイン料理とデザートの間の口直しとしても人気を催していたようだ。また、ナポレオン戦争などにより、フランスの戦地が他国に広がるとルイナール、エドシックやジャクソンなどのワインも戦地に運ばれるきっかけにもなった。その後、ロシア勢力に押し戻され、シャンパーニュ地方はロシア、プロセインにより占拠され、ワインセラーのワインが続々と流された。また、ナポレオン3世の命により鉄道網が敷かれ流通が容易になった事から、シャンパーニュは繁栄の時代を迎える。1800年中盤ごろにようやく、スパークリングの生産がスティルワインの生産を超えたと言われている。Bollinger, Mumm, Krug, Pol Rogerなど現在でも有名な大手メゾンが誕生する。

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